この北町で(213)― あの人この人

    武蔵野市に感謝   

              
        北町2丁目 遠藤 昇

まさか武蔵野市を離れ、わずか7年でこの場所に戻ってくる事になると

は当時は全く想像していませんでした。

2011年3月11日、午後2時46分東日本大震災が発生しました。

私が結婚を期に移り住んだ福島県浜通りは、一年を通し
て温やかな気候で、

台風や大雨などの自然災害の影響もほとんど
なく住みやすい地区でした。

それがあの大震災による東京電力福
島第一原発の事故で長期に渡り、避難を

強いられる結果となって
しまったのです。地震直後は、近くの体育館に避難し、

その後義
妹宅にて約一週間世話になりましたが、放射能の影響がまだ保育

児だった子供に及ぶのを心配し、自分が生まれ育った武蔵野市
吉祥寺に避難

することを決めたのです。もともとは妻の両親と同
居していましたが、

この大地震をきっかけに、家族バラバラに生
活することになってしまいました。

妻は正社
員の仕事を継続するため福島の地元に残ったため、私と子供二人が

武蔵野市の実家にお
世話になることになったのです。子供は、吉祥寺保育園に

転入し、最初は不安だらけでし
たが、園長先生を初め先生、保護者、地域の

皆さんに大変暖かく良くして頂き、本当に感謝しております。そして小学校は、

私と同じ武蔵野市立第四小学校に入学する事に
なりました。

避難から四年六か月の月日が経過し、ようやく福島県楢葉町の原発事故避難

区域が解除されました。しかし電気、ガス、水道等
一部のライフラインは

復旧したものの、病院や小学校の再開は再
来年の予定となっているためもう少し

避難生活が続きそうです。

 この4年余りお世話になった武蔵野市に感謝し、残り一年余りの避難中に

少しでも地域の皆さんに恩返しが出来るように、子供
と一緒に頑張ってゆき

たいと考えています。