この北町で(237)― あの人この人


          武蔵野の自然、思い出

                                          北町2丁目        鈴木早苗 
 

 

私の父がこの北町に居を定めたのは昭和30年、まだ日本は、戦後の復興期でした。

我が家の周囲は、一面の麦畑で、家の北側には、畑と林が連なり早春の朝には、木々の芽吹きを愛でながら父母とよく散歩をしたものでした。その後、結婚を機に住み慣れた北町を離れ、主人の転勤に共なって地方都市での生活を経験しました。地方ならではの人々の考え方、そして各都市での特徴ある自然に触れる事が出来ました。熊本、阿蘇山の雄大さ、その周囲に広がる草千里の美しさ、そして仙台では、霧の中に浮ぶ松島の幽玄な姿が印象に残っています。

武蔵野の森公園 イラスト に対する画像結果子供達が幼い頃、3年間を過ごしたアメリカ南部のノースカロライナ州では家々が森の中に点在しており、我家の庭には、リスやうさぎ、オポッサム等、野生動物が出没し、秋にはダイナミックなカエデの紅葉がそれはみごとでした。州都であるラーレイ市は、自然保護のためにいくつかの取り組みをしていました。例えば、住宅地の中央には必ず人工の湖があり、防火用水の役目を兼ねながら、市民の水に親しむ場所として利用されていました。

犬と一緒に子供達が湖で戯れる姿は和やかな光景でした。街路樹の整備は市民の役目で、山火事防止の為に庭での焚火の禁止等条例がありました。高度成長期でまだ自然保護等、かえり見る余裕のなかった日本から見ると私にとっては新鮮に思える事実でした。

地球上のどこに居を構えても常に私の心に浮ぶのは、この武蔵野の湿り気を帯びた清々しい深い緑の自然の姿でした。それは故郷への思い、そして父母への心から懐かしさでもありました。アメリカの作家、ポールギャリコの小説「雪のひとひら」には、主人公の一片の雪が長い人生の旅の果てに生まれた白雲の中にこの上ない幸福感を持って戻っていく姿が描かれています。私もギャリコの一片の雪の様に人生の終盤をこの北町に住み続けられる事に幸せを感じています。

現在、武蔵野市が実行している古木保存や、生垣助成制度が実を結び、未来の子供達へこの武蔵野の自然が継承されていく事を願っています。